一汁三菜
4月 3, 2018
Ciao! Journal no.13
5月 11, 2018

自分の居場所とアイデンティティ

Dunque, parliamo
(Ciao!Journal no.1  2017年3月号より)

 30代半ば過ぎの中国人通訳士、Y氏。20代の頃はモデルをしていたという長身のナイスガイである。欧州視察をしたエンジニアの父の意向で、彼が8歳の時に女医の母親とまず二人だけでミラノに移住した。そしてその4年後、父親も渡伊。青島(チンタオ)のエリートであって経済的に移民する必要性のなかった父親が、「言論の自由」を求めてイタリア行きを決断したのだった。

 Y氏の本業は舞台俳優だ。イタリア最大規模の中国人コミュニティーがあるプラート(トスカーナ州)で劇団を主宰しており、イタリア社会に溶け込まない中国人と地元イタリア人との融合を、演劇を通じて試みたりもしているそうだ。政府レベルの会議通訳などで得る収入は、ミラノでいっしょに生活する両親に渡す以外はすべて演劇に注ぎ込んでいる。父は現在観光ガイド、中国で女医であった母は移住当初は掃除婦をしていたという。幼少期に根こそぎ引き抜かれた若芽は新天地イタリアに移植され、慣れぬ地で苦労したYは20代には心理カウンセリングを何度も受けたという。

 古文書学の研究のために27年前ローマに留学した韓国人通訳士W夫人は、韓国語に加え、イタリア語、英語、スペイン語、クロアチア語を操る。現在アメリカの大学で教鞭を執る韓国人の社会学者の夫との間に17歳の娘がいる。会議通訳者として国外での仕事も多い彼女の心配の種は、イタリアで生まれ育った娘のこと。社交的で友達の多い“お転婆娘”だが、一人で部屋にいる彼女を見る母の目には、その心の奥底に横たわる孤独の影が映って見えるという。異国の地で、欧州人とは外見の異なる少女が、親戚もおらず、しばしば両親も家を空ける環境の中で幼少期と思春期を過ごしてきた。僕は、イタリアで生まれ成長している多くの日本人の子供たちのことを、思った。

 イタリアきっての日英伊同時通訳の達人G氏はカラブリア出身で、11歳の時テレビで見たオリンピック中継の通訳に感化され、通訳士になることを決意。最初は近所にいた日本人女性から日本語の手ほどきを受け、ヴェネツィア大学で日本語専攻、筑波大学への留学で若干の茨城なまりも習得。イヤホンから流れる彼の日本語を聞く日本人の多くは、彼がイタリア人であることを知って驚くという。非常に礼儀正しいG氏は、日本での方が自分らしく生活できるという。彼の立ち居振る舞い、また会話の「流れ」も、僕が嫉妬するほど日本人的だ。

 ある日僕はY、W、Gと共に仕事をした。会議の場で、イタリア人スタッフに混じって一人、30代半ばの東洋人男性がいた。生まれは韓国だという。ボディービルダーばりの体格をした彼に韓国人通訳のW夫人が韓国語で話しかけたが、彼は言葉を解さず、幼い頃にイタリア人夫婦のもとに養子にきたと英語で答えた。学生時代長くアメリカで過ごしたという彼は、現在フィレンツェの会社に勤めている。韓国に行ったことは一度もないそうだ。表見は韓国人、中身はイタリア人+アメリカ人の彼には悩みがある。なかなか彼女ができない、のだそうだ。

 会議に参加していた日本人の中の一人に、小中高の12年間を父親の仕事の関係でミラノで過ごしたという男性がいた。日本の大学卒業後、日本の会社に就職。イタリアを訪れるのは25年ぶりだという。自らの選択ではなかった外国での生活には、悔やんでも悔やみきれない失敗や、苦労があったという。

 そして僕は日本の美大卒業後、自らの意思でイタリアに留学し現在に至っている。出生地と異なる国に住むという意味では上述の人たちすべてと同じだ。しかし、自らの意思で住む国を変えたW夫人と僕。一方、住む環境の変更を余儀なくされた中国人のYや、Wの娘や、会議に参加していた日本人男性との間には、大きな違いがある。

 「移民」二世には「住む国の選択肢」はない。そして、他人から判断されるエスニック(外見)と、成長過程に得た文化(ひととなり)との差異という壁に、必ずぶちあたる。与えられた環境は、おそらく「人生の選択肢」を増やし、人生の可能性を広げるだろう。しかしその選択肢を否応なく認識するはめになる人生は、決して楽ではない。中国人の両親をもち人生の途中からイタリアに移住したYは、「僕たちのアイデンティティとは何だろう? 僕らは何者で、いったい何処から来て、何処に行くのか」。Yは「今僕は演劇を通して、この問いについて考えている。みんなの意見を聞かせてほしい」と僕らに向かって言った。それは、人生で奇しくも複数の選択肢を与えられた者の悩みから生じた、問いなのだ。

 生まれながらにして皆が黒目黒髪、皆が日本語を使い、IDカードなしで生活できる島国では、幸か不幸かこのような疑問を抱く必要がない。しかしこの「幸い」はともすれば、差異に対し非寛容になる恐れを多分に含んでいる。そしてそこに、他国からすれば平和で豊かな経済大国として見なされる日本に潜む問題が、あるのかもしれない。

 現在のイタリアでは、イタリア国籍を有する移民3世や4世が誕生しており、外見だけで国籍を判断することは難しくなってきている。そこで思い出したのが、15年ほど前のカンボジアの郵便局での出来事だ。僕の後ろに並んでいた旅行者らしい女性から「あなたのエスニックのオリジンは?」と英語で聞かれた。その時なぜ彼女は「あなたは中国人?」「韓国人?」と質問しなかったのか。彼女はニューヨーク出身だと言っていた。“人種のるつぼ”と形容される大都市ニューヨーク。外見からは区別のつかない、東アジア圏出身のアメリカ人に対する常日頃の気配りが、あのような表現をさせたのだろう。

 ここイタリアではまだ、「中国人?」「日本人?」と単刀直入に聞かれることが多い。しかし近い将来「あなたのエスニックのオリジンは?」と質問する人が、イタリアでも出てくることだろう。

文・Itaru Ito

写真・Masuko Satoru (Kanpai Milano 提供)