二世の若者とイタリアの今

バスジャック

 去る3月20日、ミラノ近郊の地方都市クレーマで、中学校から近くのスポーツジムに移動中のスクールバスを運転手がバスジャックする事件が起きた。体育の授業へと向かう途上の出来事で、バスは2クラス51人の生徒と付き添いの教師3名を乗せたまま、ジムではなくミラノのリナーテ空港を目指して高速道路に入ったのである。運転手は、子供たちの両手を紐で座席にくくり付けるよう教師に指示し、準備していたガソリンをバスの床にまき散らした。そして「地中海でおぼれ死んで行く難民の子供たちの復讐だ。ここから誰も生きては帰さない」と言ったという。

 携帯電話も没収されたが、犯人の目が届かない後方に座っていた生徒は携帯を隠し持ち、教師たちが両手首の紐を緩めていたので、通報に成功。知らせを受けたカラビニエーリは直ちに現場に向かい、バスの位置を突き止めて停止させた。そして前から近づいて運転手の注意を逸らしている間に、別のチームが後部の窓ガラスを叩き割り、子供達の救出を始めた。開きなおった運転手が、まき散らしたガソリンにライターで火をつけたため、燃えさかる火の中で子供たちと教師の救出が続けられた。そのあと爆発したバスは骨組みだけの無残な姿となっが、生徒12人と先生2人がガソリン中毒とかすり傷で治療を受けただけで、死者や重症者を出さずにすんだ。

 逮捕された運転手は、オウセイヌー・シイという46歳のセネガル人で、2004年からイタリア国籍を取得し、この度犯行に使用したバスのAutoguidovie社に長年勤めていた。既に強姦や酒酔い運転の前科があるシイは、この度の犯行について「サルヴィーニとディ・マイオの反移民政策に抗議してやった。全部一人で準備した」と語っており、警察はIS(イスラム国)とは関係のない「単独テロ」と見なしている。


小さな英雄たちへのご褒美

 バスの中から事件を通報したのは、ラミとアダムという13歳の二人の生徒だった。彼らの勇気がなかったら警察はすぐに救出に向かえず、大惨事になっていた可能性が高い。二人は両親と担任の先生にも知らせたのだが、両親は冗談だと言って信用してくれず、担任の先生に至っては「誰の電話か分からなかったので出なかった」そうだ。「小さな英雄」になったこの二人は、クラスメイトの救出に当たったカラビニエーリのおじさんたちと共に大きく報道された。

 そしてそれと同時に、事件とは全く別の問題が浮上(というより再浮上)した。2年前に国会の審議で却下された法案「Ius Soli」(両親ともに外国人でもイタリアで生まれた子供にはイタリア国籍を自動的に与えるというもの)の問題だ。ラミとアダムはイタリアで生まれたものの、両親がモロッコ人であるためにイタリア国籍をもたない「外国人」なのである。「Il Sole 24 ore」紙によると、ラミのようにイタリアに居住しているにも関わらずイタリア国籍のない未成年者は2017年の時点で80万人を超えている。

 イタリアで生まれた者に国籍を付与する「Ius soli」法案は、2015年下院で可決され、その後2年もの間上院のゴーサインを待つばかりになっていたものだ。2017年12月23日、年内最後の上院の審議に無理やり押し込められた形で、最終決定のための投票がようやく行われた。ところがこのいざという時に、投票者数が「定足数に33人足りなかった」(クリスマス休暇の前倒しでも行ったのか?)ために、永久にご破算になったのである。北部同盟や五つ星運動党といった、同法案にもともと反対していた政党の議員ばかりでなく、PD(民主党)やMdP(民主進歩運動)など「Ius soli」推進党の議員までもが32人も欠席したのだ。

 そのとき北部同盟のカルデローリ上院議員は、「これでこの法案は完全に沈没した。死んで墓に埋められた。これまでの2年間この否決に全力を尽くした自分にとって、これほど嬉しいことはない。これで左への新たな投票者(Ius soliでイタリア国籍を取得する人たち)が増えるのを防ぐことができた」と誇らしげに語ったものだった。

 あの副首相・内務大臣様が雲の上から「ラミの父親よ、お前の子は危険を冒してまで仲間を救った。よくやったぞ。その見返りに何か望むものはあるか」とでも尋ねたのか。一躍ヒーローになったラミの父親が「この子にはイタリアの国籍が無いんです。お言葉に甘えて、それをやっていただけませんかね」などという返事でもしたのか。とにかく、ご褒美に「国籍ぐらいやれよ」という風に世論が湧いたのである。

 当初乗り気ではなかった副大臣サルヴィーニであったが、もうひとりの副大臣ディ・マイオに諭され、「ラミたちは我が子同然の存在で、“彼らもこの国の価値を理解している”ようだから」と、貴重な国籍を特別に授与するのをしぶしぶ承諾したということだ。

 

「底辺のイタリア人」の声

 4月初め「レプッブリカ」紙は、「イタリアの声」というタイトルの記事を掲載した。イタリア人のラッパー13人をインタビューしたものである。皆イタリア人とアフリカ人(エジプト、モロッコ、セネガルなど)を両親に持ち、イタリアで生まれ育った二世の若者だ。彼らは、ミラノやローマなど大都市郊外の貧困地区、あるいは南イタリアの難民地区出身で、自力で底辺から這い上がって成功を手にした。Rancore、Laioung、Mosè Cov、Chadia Rodriguez(女性ラッパー)、MaRue、Abe Kayn、Tommy Kutiといった、その方面では知られているラッパーたちの名前を、皆さんはご存じだろうか。その中でいま最大の注目を浴びているのは、今年のサンレモ音楽祭で『Soldi』(お金)を歌って優勝したMahmood(マムード)だ。しかし、普通に考えれば「おめでとう」と祝福すべき立場にある副首相兼内務大臣は、このエジプト系イタリア人の曲を「嫌いだ」と批判した。マムードは今年5月にテルアビブで開催されるユーロビジョン・ソング・コンテストにも「イタリア代表」として参加することが決まっているぐらいなのに。(2019年4月30日現在)

Mahmood con il “Leone di Sanremo” vinto a Sanremo 2019(foto©Bart ryker/Creative Commons)

 お偉方の考えはよくわかった。では、国籍はイタリアなのによそ者扱いされているこれらの若者たちは、この国をどう見ているのか。

MaRue「イタリア人は、マグレブ(北アフリカのアラブ諸国)の人=麻薬密売人、東欧人=強盗、中国人=仕事泥棒、セネガル人=不法労働者って思い込んでる。移民や難民は電話セールスマンと同じ扱いで、こっちが言うことには一言だって耳を貸さずにすぐ、あっち行けさ」。

Laioung「彼らは自分の国以外は知らないんだから無知でも仕方ない。自分と違う人間が怖いんだ」。

Tommy「良いことをしたら国籍あげるって何か偽善っぽい」。

Mahmood「サルヴィーニに会ったら絶対Ius Soliのことを言おうと思っていたけど、握手して、はいさようならだった」。

Chadia「イタリアの国籍? そんなの全然興味ないわ。世界共通の国籍の方がいい。肌の色とか人種とかで区別するのってバカみたいよ」。

Dium「彼らにとってアフリカ人の混血って犬と同じなんだよね。小さいときには可愛い可愛いってなでるくせに、大きくなったら高速道路に捨てるのさ。いらないから早く死ねってね。ぼくが育った町(パドヴァ近郊)では僕は唯一の黒人だった。キンボ・コーヒーって呼ばれていたよ。差別され侮辱されあっち行けって言われて育った。そんなわけだから未成年の時から窃盗や麻薬売買で捕まっていた。バルセロナの刑務所に入った時は背筋が凍ったよ。でも音楽が助けてくれたんだ」。

Abe「自分もプーリアで親方にこき使われたことがあるから、農作業で酷使される難民たちにこのラップを捧げたい。『パスポートはオレにくれ。死ぬんだったらいらないさ。このゲットーに入るのに、誇りもくそもあるもんか。ポンコツ車にぎゅう詰めで、トマト集めの重労働』ってね」(未発表曲の『5 euro per morire』より)。

 ここのところ、通勤電車の後部や公園などに座り込んでいたアフリカ人達の姿を見なくなり、スーパーの入口で物乞いをする難民らしき人の姿も減った。代わって自家用車を運転するアフリカ系の人がよく見られるようになってきた。何らかの理由でこの国に来た人たちは、ケンブリッジ大卒ラッパーのTommy Kutiが言うように「人の3倍苦労して」社会に溶け込み、生活している。見かけはアジア人であったりアフリカ人であったりする「イタリア人」達が社会・経済活動に参加し、この国を支え始めた兆候ではないか。冒頭の「既にイタリア社会に溶け込んだ“外国人”中学生がイタリア人のクラスメイトを助けた」エピソードは、ある意味イタリア社会の現況を象徴していると言える。現行政府は先見性に欠ける政策で非イタリア人を締め出すことに躍起になっているようだが、現実ははるかに先を行く。日本でも、今やスーパースターで大人気の大坂なおみ選手が国民に夢とパワーを与えているように。

 二世の若者が大人になり、いつしか国境や肌の色を気にしない、寛容で希望の持てる社会を作るだろうと思うのは、楽観的過ぎるか?

文・Masao Yamanashi
(2019年4月30日現在 Ciao!Journal no.19 2019年5・6月号「政界アラカルト」より)
© RIPRODUZIONE RISERVATA Ciao!Journal

 

「大人と子供のアペ」大成功!

Grande successo! 大成功!

 

 

皆さんのお越しを待つ間、チャオを読む たなばたろう氏。Il panda Tanabataro legge Ciao aspettando  gli ospiti.

 

チャオ〜来たよー!Ciaoo! Siamo arrivati!

 

カルピスかお酒どっちがいい? Gradite del Calpis o sakè?

 

折り紙教えてくれるケイ兄ちゃん早く来て〜!Il nostro maestro di Origami Kei san quando arriva?

 

ケイ兄ちゃん、やっと来たー! Eccolo Kei san!

 

皆楽しそう!って、あんた誰?「しがらき太郎です!」 Quanto divertimento! Ma tu chi sei? “Sono Shigaraki Taro!”

 

今日は福引もあったんだってさ!Ecco i vincitori della lotteria!

CAくま子ちゃん Orsacchiotta cabin crew

 

パイロットくま吉くん Orsacchiotto pilota

 

HARUKO ITO のジュエリー。「僕の奥さんにプレゼントするから中身はお見せできません。あしからず。」Il gioiello poetico di HARUKO ITO. “Non lo apro ancora perché lo regalo a mia moglie!”

 

ABBIAMO VINTO IL PRIMO PREMIOO!! たなばたろう氏、当たっちゃいました〜。 「よーしプロレスで勝負だ!」I vincitori del nostro Tanabataro! Pronti per una lotta di wrestling!

 

夕暮れ時の七夕書店、美しいですね。 Tanabata da fuori.

 

チャオスタッフのMartina e Fabioです。はいチーズ! Lo staff Ciao Martina e Fabio. Cheese!

 

チャオスタッフと七夕スタッフで集合写真。 Foto di gruppo con lo staff Ciao e lo staff Tanabata.

 

本日はお越しいただきまして、誠にありがとうございました。
そして、景品と食料品を提供してくださったスポンサーの皆様、ありがとうございました。

Ringraziamo tutti gli ospiti per essere venuti, e gli sponsor per aver reso possibile questo evento.

“Aperitivo per grandi e piccoli”

12 maggio 2019

luogo: Tanabata libreria giapponese

via Adige, 7 Milano 

sponsored by : Sagami, Poporoya, Jstv,

Gioielli Poetici Haruko Ito, Fidenza Village, Karin, Gaghe,

Zen Market, Korean Air, M&M Mediaservices,

Fortura Giocattoli, Tanabata, Ciao Journal

 

Cibo e bevande: GAGHE, Zen MArket e Yukiko Okabayashi

 

エピファニア〜 Epifania tutte le feste porta via 〜

 私たちイタリア人がよく親しんでいる言い回しに “Epifania tutte le feste porta via”というのがある。「 エピファニア は全ての祭りを持ち去る」という意味だ。クリスマスの親戚一同での食事や大晦日の花火は、もう遠い昔のよう。エピファニアはパーティーの終わりを告げ、また新しく始まる日々のルーティンに私たちを連れ戻すのだ。

 エピファニア(公現祭)は、イタリアでは深く根付いた歴史的なお祭りだ。もちろん宗教的な意味があり、キリストが人類の中に現れたことを記念する日である。西方キリスト教会では、クリスマスの12日後の1月6日、東方の三博士の訪問と礼拝によってその「公現」が認められたとする。一方の東方教会ではイエスの洗礼を記念する日である。

 だが私たちにとってエピファニアを象徴するのは、まず何よりもベファーナだ。エピファニアの日、良い子にはお菓子を、悪い子には石炭を持ってくる老婆である。幼い頃、私たち姉妹は1月6日を楽しみにはしていた(終わったばかりの前年のお行儀が悪くて石炭をもらったこともあったが…)。しかしエピファニアはクリスマスほど特別なものではなかった。プレゼントはクリスマスのそれに比べると乏しく、おまけにこの日が来ると「あと少しで学校が始まる」ということなのだから。

 エピファニアの祝い方は、イタリアの各州によって色々だが、多くの地域ではベファーナという人物は、新年に出番を譲った「過ぎ去った年」を象徴している。トスカーナ、エミリア・ロマーニャ、ヴェネトやフリウリ・ヴェネツィア・ジュリアなどの州では、雑巾でできた人形を焚き火で燃やす習慣がある。私の生まれ故郷ヴェローナ(ヴェネト州)でも、雑巾の「ヴェーチア」(方言でvecchia=老婆のこと)を燃やしてクリスマス休暇を終わらせる。一方フィレンツェでは、「東方の三博士の騎馬行進」という伝統的なパレードが旧市街で行われる。ベツレヘムの洞窟に到着した三博士の再現だ。

 ヨーロッパの国々を旅行していると、一年を通してのお祭りがイタリアと変わらないことに気付く。そしてその祝い方が国によって様々であることにも。例えばスペインや南米では「El Día de los Reyes」(エル・ディア・デ・ロス・レジェス=エピファニア」の日にはパレードとプレゼント交換とを行う。三博士がキリストに贈り物を持ってきたという聖書の記述にちなんだものだ。ポルトガルではお菓子を食べて踊る。フランスでも北の地域とベルギーでは、ガレット・デ・ロワ(王のガレット。フランジパーヌと果物でできたお菓子)を食べてこの日を祝う。イギリスでは、エピファニーの前夜である1月5日の晩は「Twelfth Night」と呼ばれ、様々な芸術的イベントや舞台が催される。ちなみにシェイクスピアの『十二夜』は、「Twelfth Night」の日に上演するために書かれたと考えられているそうだ。

文・Maria Vittoria Longoni
(Ciao!Journal n.10 2018年1月号「耳より目より」より)
© RIPRODUZIONE RISERVATA Ciao!Journal
チャオジャーナル講読!Ricevi CiaoJournal!
We respect your privacy.