
事故
氏名ファビアーノ・アントニアーニ、別名DJファボ。生年月日1974年2月9日。7歳から音楽学校に通いギターを習う。
第1ギタリストとして多くのコンサートに出演。親にコンセルヴァトーリオに入れられたが、反抗的な性格が仇になって退学処分を食らった。その後は音楽の次に好きだったモトクロスで稼ぐことにした。「Daverioスーパーモーターチーム」で営業を手がけ、自分でもレースに出場した。でも2009年試合中に事故ってバイクも止めになった。それからは夏、イビサ島(スペインのレジャースポット)のディスコでDJの仕事をするようになったんだ。ハマったぜ。こんなに自分にピッタリの仕事は初めてだった。測量技師の資格で仕事には事欠かなかったけど、サラリーマンは辞めてDJに専念することにした。音楽を習わせてくれた親には感謝したよ。だんだん名が知られるようになってインドのゴアにも呼ばれるようになった。あそこに初めて行った時は一撃を食らったよ。それまでにもあちこち回ったけど、あんなすごい所は初めてだった。やっと自分の居場所を見つけた気がした。だからヴァレリア(彼女)と移住することに決めたのさ。最近は1年のうち8ヶ月をインドで、残り4ヶ月はイタリアで、DJやってたんだ。[/one_third]
2014年6月13日。それはちょうどインドでもオレの名前が知られるようになった頃だった。ミラノのディスコで仕事を終えて家に帰るところだった。高速に入ってから、いつものようにポケットから携帯を出そうとしたけど、手が滑ってインパネの下に落ちやがった。「クソったれ!」左手をハンドルに掛けたまま、体を屈めて携帯を拾おうとした。そしたらハンドルのバランスが崩れて右に回転し、車は隣の緊急車走行車線を走っていた車に激突。あっという間の出来事だった。オレは車の外に投げ出された。真夜中の高速に吹く生暖かい風。けたたましいサイレンと共に近づく救急車。点滅する赤いライト。事後の対応は迅速だった。みんなやるべきことは完璧にやってくれた。
だが、ジムで鍛え刺青で飾ったオレの肉体が再び元に戻ることはなかった。目を見開いたつもりなのに見えるのは真っ暗な闇だけ。手を動かそうとしても足に力を入れても微動だにしない。一体何が起こったんだ。「頸髄損傷、全盲、肢体麻痺」なんて単なる医者のたわ言だ。これから死ぬまで寝たきりの生活しか無いなんて真っ赤な嘘に決まってる。

決心
希望は最後まで持っていた。ありとあらゆる治療を試みた。でもだめだった。毎日鉄の檻に押し込められているみたいなんだ。気を強く持とうと思っても何も見えないし全然動けない。耳は聞こえても音楽はもう聞かない。泣けてくるだけだから。
ベッドの中で永遠に真っ暗闇だけを見つめて過ごすのはもう沢山だ。事故から3年経った今、俺は決心した。「共和国大統領殿、俺は苦しまずに死にたい。でもそれには助けがいるんです。イタリアで安楽死を合法化する法案は3年前から放置されたままだ。大統領、この法案をどうか取り上げて下さい。オレはまともに喋ることもできないので、ヴァレリアの口を借りてお願いします。自分の死まで、最後の最後まで自分で決めていいっていう法律を可決して下さい」。ここまでヴァレリアの声で嘆願したファボは、最後に自分の声を振り絞ってマッタレッラ大統領へのビデオメッセージを締めくくった。「アリガトウ、セルジョ」。
能動的介入と受動的介入
イタリアの法律では「安楽死」とは、「本人の明白な意思表示に基づいて、末期にある人の苦しみを中断するための、医師による能動的または受動的な介入」を意味する。そして「能動的介入」と「受動的介入」は法によって区別されている。「能動的介入」とは死に至る薬物を患者に投入すること。「受動的介入」は、生命を繋ぎ止めていた手段(人口呼吸器の接続や養分を注入するチューブなど)を停止させることだ。後者は、現在でもその是非について議論が続けられているものの、イタリアでは違法ではない。受動的安楽死(生命を維持するための治療を故意に停止する行為)は憲法第32条に定める「不可侵の権利」とされ、「法に定める場合を除き、誰も特定の治療を強制されてはならない」と、延命治療の中断を認めている。これはウェルビーのケース(2006年、安楽死を望むピエルジョルジョ・ウェルビー氏の人工呼吸器のスイッチを医師が切った)に相当する。だがファボが希望する「能動的安楽死」、即ち延命治療をしなくても生存が可能な場合の安楽死については、刑法第579条(同意殺人)並びに第580条(自殺教唆、幇助)で規定している犯罪と見なされる。
ルーカ・コッショーニ協会
2002年、政治家・経済学者のコッショーニ氏(筋萎縮性側索硬化症を患って2006年に死亡)によって設立された「自由な科学研究のためのルーカ・コッショーニ協会」は、病人と身体障害者の人権・市民権・参政権を擁護することを目的とする団体だ。同協会は急進党(Partito Radicale)党員で成り立っており、人工授精や自殺幇助などイタリアで認められていない事項の合法化を求める運動を行っている。2015年3月、同協会は「能動的安楽死」を行うスイスのクリニックに赴くことを希望する末期患者を支援する「市民的不服従団体」を設立。「そのお陰でこれまで230人の自殺希望者を援助した」と報告している。
スイスでの幇助自殺
大統領に呼びかけたものの、イタリア政府の介入を得るまでに至らなかったファボもまた、コッショーニ協会の世話になった一人だ。2月28日、協会代表のマリオ・カッパート氏に付き添われ、念願の自殺を遂げたのはスイスのクリニックにおいてだった。本当は祖国で、自分の家で死にたかった。でも自分の希望を叶えるには、チューリヒ近くの見知らぬ病院に行くしかなかったのである。スイスでは何年も前からこの形式の自殺が合法化されている。死ぬ手段は準備するが、最終的には希望者自身が何らかの形で装置を作動させなければ死ぬことができないシステムだ。従ってあくまでも「自殺」であり、「安楽死」とは異なる。四肢の麻痺したファボがこの行為を遂行するためには、死をもたらす薬物を自分の体内に注入すべく、チューブに付けられているスイッチを歯で噛んで「オン」にする必要がある。「もし噛むのに失敗したら」というのが、目が見えないファボの唯一の心配だった。最後の別れの時、傍に居たヴァレリアや母親、友人たちに言った。「今頃こんなこと言うとアホかと思われるだろうけど、車に乗ったらみんな必ずシートベルト締めろよ! それがオレの最後の願いさ」(ファボが車外に投げ出されたのはシートベルトをしていなかったことが原因とされている)。チューブの準備を終えた看護婦は言った。「急ぐ必要はありません。あなたは本当に心底、これからすることをしたいと望んでいますか?」「はい」。ファボは少しのためらいもなく答えたのだった。「これで自由になれる。檻に閉じ込められた体から解放されるから」。
「ファボは11時40分に逝きました」。最後まで彼に付き添ったカッパート氏はtwitterで世界に報告した。
各界の反応
自殺幇助で有罪になって法廷で争いたい」と、カッパート氏はインタビューに答えて語った。「イタリアでは自殺幇助は犯罪だが、ファボの場合は幇助なんか全く無かった。援助なら確かにしたよ。土曜日の朝ファボを車椅子ごと彼の車に乗せて、胸が張り裂けそうな旅を5時間も続けたんだから。国はオレのしたことを、国外で起こったことだからと見て見ぬふりをするか、幇助の罪で訴えるかどっちかだ。オレは訴えられたらいいと思っている」。
ジェンティローニ首相は、「国民の皆さん同様私もショックを受けた。下院では安楽死ではなくtestamento biologico(生前の意思)について審議する予定です」。これは、別名「処置の事前宣告(dat)」とも呼ばれ、意識が正常な状態にあるうちに自らの死に方を遺言にしておくことである。これが合法化された暁には、自らが意識不明の状態に陥った場合に尊重される自分の意思を、事前に書き残すことができる。そして、自分が望むわけでもない延命治療を施され、何年もベッドに釘付けになったエルアナ・エングラーロ(17年間昏睡のまま生き、延命措置が2009年停止された)のようなケースを避けることも可能となる。ロレンツィン保健相は「非常に悲しい事件だが、政府としての介入はできない。ファボの婚約者とご家族に人間として共感します」と語った。作家ロベルト・サヴィアーノは「イタリアで自殺できなくてごめん」とファボに謝った。
一方、バチカン市国は「社会が負けた」とコメントした。「この悲しむべき事件を我々はよく反省しなければならない。私たちは『これ以上生きていけない』と言う人々を近くで心配して見てきた。それも無理はないという状況も理解している。しかし、このような人たちの傍に居て励まし、君は大切な人だと理解させることができないこの無力な社会に憤りを感じる」。バチカンの生命倫理学の権威で「生命のための教皇庁アカデミー」会長ヴィンチェンツォ・パーリア司教はこう続ける。「命は授かりものです。いかなる場合にも大切に守っていかねばならない。生まれてくる命も、死を宣告された命も同様にそうしなければなりません。飢餓や暴力に晒された者の命もそうです。生命とは抽象的な言葉などではない。生命とは人間です。どんな状況にあろうとも人の命は守らなければならない。死の選択は、それができない社会の敗北を意味する。どんなに法律で自殺が認められていようとも、敗北に変わりない」と語り、ファボが心より感謝したカッパート氏の行動を暗に非難した。
「死ねば、“その時”の苦しみから解放される」と言う概念は、日本でも広く理解されている。その結果、イジメが原因で小中学生までが簡単に自殺する。だが果たして、死を決意した時の苦しみは永続するものなのか。それは何らかの形で状況が変われば無くなる種類のものではないか。そして「死ぬのを助ける」ことは本当に人道的なことなのか。
これらのあまりにも難しい問題について考える時、一つだけ確かな、そして紛れもない事実に突き当たる。それは、全人類、いや全ての動植物にとって生命だけは、どこか遠くから授かったものであり、各個人が自分の都合で獲得したものではないという事実である。